常夏生まれ雪国育ち。

大雑把に言うと、僕は地球の反対側の常夏の国で生まれ、そばが美味しい雪国で育ち青春はサッカーと情熱の国。社会人は粉モンが絶品の地。

image

いろいろな人と出会いました。
色々なきっかけがあり、今の自分は、ここにおります。
中でも特にドラマティックなのが、当時滋賀に住んでおり、憧れの外国人アーティストが大阪に来るという事で、人生に一度でいいからライブに行きたいと思っていたこともあり、滋賀からわざわざ大阪に来ました。

城ホールでライブをするという事で、近江八幡まで私鉄に乗り、そこからJRで大阪駅まで行き、環状線に乗って大阪城公園前まで行きました。

当時は腰まで伸びた髪の毛。ディーゼルのジーパン。その外タレが履きそうなモデルのアディダスの靴。ロックTがさほど無かったため、メタリカのTシャツ。ちょうど二十歳になった時の良くしていた服装です。
今では想像がつかないような見た目でした。
日本に戻る前にバンドを解散し、1年経っていた。ちょうどこの頃当時のライブやリハーサルを思い出して、またやりたいなぁと思っていた。ギター背負ってる人に声かけそうになったこともあった。

話を戻します…会場を確認して、開演の時間を待っていました。
一人だったので、隅の方で座っていると、隣に男が座る。

男はなにか話している。何を話しているんだろう?と思って男の方を見ると、男は自分の方を見ている。
「え!?」
というと男は話し出した。

「いまバンド組んでるんだけど、ボーカルがいなくて、やってくれる人を探してるんですけど、やってくれませんか?」

ちょっと信じられませんでした。
僕からギター背負ってる人に声かけそうになっていた矢先にこんな事があるなんて。

「リハーサルだけでも見に来てくれませんか?」

「来ます!」

ほぼふたつ返事だった。

待ってましたと言わんばかりに。
そこから週末は滋賀から、大阪に来るようになった。

ただ実はその時頭の中にあったのは、アーティストのライブを見て、そのあと、年明けに成人式にいき、またブラジルに帰ろうと思っていた。

バンドを軽い気持ちで始めちゃったなぁと思いながら、ときは過ぎ、成人式にも行き、気がつけば、バンドは生活の一部になっていた。

ブラジルに帰ろうという気持ちも強かったが、ある程度バンドが心を満たしてくれていた。

迷いに迷い。

大阪に来てバンドに本気で打ち込むことに。

しかし、その年の暮れにバンドは解散。
案外あっけない。

その後は、その当時の仕事にただただ頑張る毎日。バイトなので給料は少ないが、天職じゃないかと思うくらいいい現場だった。

そこからもまたいろいろなドラマティックなストーリーが待ち受けているのですが、今日はここまでで自粛。
ちょっと語りすぎましたね。

でも最近思うのが、もしも当時自分がその外タレのライブに来てなかったら、自分は、今どこにいて何を考えていたんだろう?

偶然が重なり合って、色々なことのきっかけになり、ここまで来ました。

でもそれは偶然ではなく、必然なのかもしれない。

でも今は未熟すぎてそこまではわかりません。

いつかまたこの記事を見て、自分で答えが出せたらな。と。思いながら床につきます。

以上です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。